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小学生になる前の 幼き頃
家族ぐるみのおつきあいしていた一家が 隣町にいた
その家族には
わたしがトモにいちゃんと呼んでいた男の子 わたしと同年の男の子、アキちゃん その下に女の子という三兄弟がいて
わたしとわたしの弟との5人で ときどき 時間をともにし 遊んだ
そして 彼らのお父さんは ポライドカメラが趣味で
よく写真を撮ってもらったし
その写真が 実家のアルバムに残っている
でも 正直にいうと なにをして遊んだのか
具体的なことは 何一つ覚えていない
だけれど 同年のアキちゃんの次男らしい元気っぷり
それとは対照的なトモにいちゃんの 落ち着いた おにいちゃんっぷりは
今でも わたしの記憶の中にある
とくに トモにいちゃんは わたしにとってもまさしくお兄ちゃんであり
弟という存在しかもたず
家族の中では おねえちゃんという肩書きをもつ
わたしにとっては 特別な存在だった
が その家族と疎遠になったのは そのお父さんが
急に他界したことが原因だったとおもう
わたしは 母に手をひかれて お葬式に行ったことを覚えている
式場の自宅に到着した そのときに 目にした光景
それは 事態が飲み込めているのか いないのか
飲み込めている上で あえての行動なのか
あの いつも元気いっぱいのアキちゃんが 庭にいて
たのしそうないつもの笑顔で 三輪車に乗って遊んでいたのである
わたしの中で 三兄弟とともに過ごした時間の断片が 映像として残っているのは
唯一 その時のアキちゃんのもので
その記憶のとなりには いつもせつなさが寄り添っている
それから 時はながれ わたしは高校生になった
高校生になると 電車通学になった
最寄り駅の 小田急線新松田駅までは 家からバスで30分という距離
そして 新宿行きの電車に乗り 隣町の秦野駅が下車駅だった
乗車する電車は いつも同じで
秦野駅に着いた時 改札への階段の前で降りれるドアを選んで 毎朝乗車した
それは 毎日のことで 毎日がその繰り返しだった
ある日のこと いつものように 秦野駅に電車が滑り込み
いつものように 階段の前で 電車は停車した
そのときだった
電車のドアが開く そのいつもの光景が スローモーションになった
そして そのゆっくりとした時間の中で
あのトモにいちゃんが あのころのままに
ホームにいたことに 気づいたのである
そして わたしが降りた そのドアから
トモにいちゃんは乗車し 新宿方面へと去って行った
それからというもの
電車がホームへと滑り込む
ドアの窓越に 下向き加減のトモにいちゃんの姿がある
電車が停車する
ある一定の間のあと ドアが開く
わたしが電車をおりる
トモにいちゃんが電車に乗り込む
ホーム上でのこの毎日が わたしにとっての朝の風景となった
なんの言葉を交わす訳でもなく
目を合わす訳でもなくだった
トモにいちゃんが わたしに気づいていたかは定かではない
でも そのことは わたしのなかでは そうたいして問題ではなく
ここにこうしてトモにいちゃんの姿があるのなら
あのアキちゃんも おそらく元気なのだろう
そう想えるだけで 十分だった
冬になると トモにいちゃんは 落ち着いたグレー色のマフラーを巻いていた
そして 春の訪れとともに おにいちゃんは高校を卒業
わたしの中の朝の風景から 消えていった
その後 わたしも高校を卒業
仕事の関係で茨城県に住み その後 結婚
23歳のときには 一児の母になっていた
そして その年 高校の仲良しの友達が結婚するという知らせが届いた
結婚式は 神奈川平塚市の大きな会場でおこなわれ
その友達の旦那さんとなった人は 母子家庭で育ったらしく
宴のクライマックスの花束贈呈のときには お母さんは号泣
その姿に友達の旦那さんは やさしげな笑顔をうかべながら お母さんの肩を抱いてあげていた
友達は いい人と結婚したなぁと 心が和んだ
その日 ひさびさの実家にかえった
そして 席次表を見ていた 親が気づいた
「アキちゃんだ。。」
わたしの友達の結婚相手は あのアキちゃんだったのだ
アキちゃんは何もかもが 別人だった
昔の あの次男らしさはなく
そこにあるのは まるで もうひとりのトモにいちゃんのような 落ち着き払ったおもむきだった
その後 何度かアキちゃんとは 顔を合わせたが
わたし同様 わたしと遊んだ記憶はなかった
わたしは あの日。。
アキちゃんのあの日。。
三輪車で遊んでいた記憶があるのかどうかを聞いてみたい。。
そんな気持ちに至ったこともあったが
それは 未だにしていない。。
その後の2004年 わたしは北海道に移住
いまも秦野に住む アキちゃん夫婦とは
なかなか会えず 疎遠になっている
だけれど 毎年の年賀状の写真の中で
アキちゃんの2人の娘は
すくすくと成長している

道がすき
でも 実を言うと 道だけではなく
たとえば すーっと伸びた電柱と電線たち。
たとえば やさしく導くような 駅のホームからのびゆく線路のレール
そんな風景がすき
その先に 何があるって訳では きっとない
だけれど 何かある そんな気がして
わたしの真ん中が そよぐようにゆれる風景なのだ

旅に出た
風のむくまま 気のむくままに
美瑛を出発 まずは 旭川のカー用品ショップで
故障してしまったインバーターを 新たに購入
そして 石北本線沿いに 網走へ
わたしは ときどき こうして旅に出るのだが
宿泊は道の駅に車を駐車しての 車中泊が常
そして 夜があけると さて 今日は西へ行こうか 南へ行こうか
とそんなかんじの風まかせの旅
網走の朝に 海をながめながら せっかくだから知床に行ってみようと 思い立ち
車を 走らせる
さすがに 世界遺産の知床
観光バスの数がすごい
途中 観光スポット オシンコシンの滝の駐車場でトイレに立ち寄った
観光バスの数は 10台はあろうかといったところ ある意味圧巻
バスの正面には 「知床大自然満喫ツアー」などと掲示がある
公衆トイレに入ると まるでデパートのトイレかのように 人が並んでいた
外の景色が遮断された 北の地の公衆トイレの中で
都会の空気がただよっている
きれいにお化粧された おばさま方の肌と
ま白なパンツズボンに こぎれいな靴
そして 肩から下がるブランドもののバックが かがやきを放っていた
なにやら わたしの中に よくわからない喧騒がただよい始める
それから 知床羅臼に車を走らせ お昼ご飯に立ち寄ったのは
地元の 浜のかぁーちゃんたちが営む食堂
ここへくるのは 2回目
「はい いらっしゃーい!」
あたたかくも元気な かぁーちゃんの声が飛ぶ
この食堂のテーブルには メニュー表がない
食堂の一角に ショーケースがあり そこに本物の料理メニューが並んでおり
それを見ながら お客さんは 食べたいものを決め 注文をする
だから お客さんは 店に入って 席に座ってしまうと いつになっても
店員さんは来ず 注文をできないことになる
しかし 忙しいときにお客さんが入ってくると
かぁーちゃんは そのことに気づかず
お客さんが テーブルについてしまうことがある
かぁーちゃんは あとからそのことに 気づくことになるわけだけれど
「すみませんねー のんびりしてるものですから 注文はこちらでおねがしまぁーす」
と いつもの調子を変えることはない
わたしが 注文を終えて かぁーちゃんに言われたとおりの2番のテーブルにつき
しばし お茶を飲みながら 料理ができあがるのを待っていると
向かいに 2人組の男性が これまた 料理が出てくるのを
地図かなにかを見ながら 待っていた
旅のライダーだろうか。。
その出で立ちは 黒のTシャツとランニング
そして 真っ黒に焼けた肌
身なりを気にしている様子はない
なすがままで 今 地図を見ている
浜のかぁーちゃんの 料理を食する前に
わたしの心は
喧騒の果てから 安堵の地に
降り立った

騒がしいほどの 夏の日差しを
もうすこし 感じていたい気もする
その反面 はやく 色鮮やかな秋に出会いたい気もする
そんな わたしに ほほ笑みかけるように
すすきの穂が風にゆれている


気づきました
心揺さぶられる光景に 興奮してしまうと
あたふた あたふたして なにも撮れないという結果に
それよりも 虎視眈々
目の前の光景を見定める
これが 私向き